「不登校は誰にでも起こりうる、珍しくないこと」——そう答えた人が7割近くいます。理解が広がっているようにも見えます。しかし同じ調査で、実際の不登校の人数を正しく知っていた人は、10人に1人にも届きませんでした。この二つの数字の落差に、教養で読み解ける構造があります。
学習塾を運営する明光みらいが2026年8月19日に公表した調査(全国500人対象、回答者の約94%は不登校の当事者ではない一般の人)によると、「不登校は珍しくないこと」と考える人は68.0%、「本人の甘えやわがまま」と考える人は9.2%にとどまりました。ここだけ見ると、社会の受け止めは十分に成熟しているように読めます。ところが、現在の不登校の小中学生数を正しく認識していた人はわずか9.8%。自宅学習が出席扱いになる制度を知っていた人は26.2%、「学びの多様化学校」という選択肢を知っていた人は25.4%と、いずれも3割に届きませんでした。
なぜ「よくあることだ」という実感と、正確な数字への理解が、こんなにも離れてしまうのでしょうか。人は物事の多さや頻度を判断するとき、いちいち統計を確認するのではなく、思い浮かびやすさで直感的に見積もることが知られています。ニュースやSNSで不登校の話題を何度か目にしていれば、「よくあることだ」という実感は自然に育ちます。しかし、その実感は「具体的に何人いるのか」「どんな支援制度があるのか」という知識までは運んでくれません。実感は思い浮かびやすさで作られ、知識は別途学ばなければ身につかない——この二つは、育つ経路がそもそも違うのです。
この構造は不登校に限った話ではありません。「よく聞く話題だから、もう十分理解している」と思い込んでしまう場面は、防災、健康、経済など、あらゆるニュースで起こりえます。「実感としてよく知っている」ことと、「具体的な数字や制度まで知っている」ことを分けて捉える習慣を持つと、次に似た調査結果を目にしたときも、どこまでが本当に理解されていて、どこからが思い込みなのかを見分けやすくなります。