「正しく考える」とは、どういうことか
「論理的に考えなさい」と、よく言われます。しかし、「論理」とは、そもそも何でしょうか。そして、「論理的に正しい」とは、どういうことでしょうか。このコースでは、論理という、思考の骨組みを、その力と、驚くべき限界まで、味わいます。前に論理と議論で学んだ、日常の議論に役立つ論理を土台に、このコースでは、より深く、論理そのものの性質——パラドックスや、「証明できないことがある」という事実——に、踏み込みます。それは、人類の知性の、最も厳密で、最もスリリングな領域への、旅です。まず、論理とは何かから、始めましょう。
論理は、思考の骨組み
論理とは、一言で言えば、前提から結論へと、飛躍や矛盾なく、筋道立てて考えを進めるための、規則やその働きです。正しく推論するための、思考の骨組み、と言えます。
私たちは、日々、様々なことを、考え、推論しています。「AだからB、BだからC、だからAならC」といったように。このとき、その推論の筋道が、通っているかを問うのが、論理です。
- 感情や、思いつきや、願望ではなく、筋道で考える
- 前提から結論への、つながりに、飛躍や矛盾がないかを、確かめる
- 「なんとなく、そう思う」ではなく、「なぜ、そう言えるのか」を、明確にする
論理は、前に数学の証明で見た、「前提から論理を積み重ねて、確実な結論に至る」という営みの、土台です。そして、科学、哲学、法、そして日常の判断まで、あらゆる厳密な思考の、共通の基盤になっています。論理は、いわば、正しく考えるための、普遍的な文法なのです。
「形式の正しさ」と「前提の正しさ」
論理を理解する上で、決定的に重要な区別があります。それは、「形式(筋道)の正しさ」と、「前提の正しさ」は、別だ、ということです。これを混同すると、論理を、大きく誤解します。
論理が問うのは、主に、形式(筋道)の正しさです。「もし、前提が正しいなら、結論も、必ず正しい」——この、形式が正しい推論を、妥当な推論と言います。ここで重要なのは、「前提が、本当に正しいかどうか」は、別の問題だ、ということです。
例で考えましょう。
- 前提1:「すべての鳥は、空を飛ぶ」
- 前提2:「ペンギンは、鳥である」
- 結論:「だから、ペンギンは、空を飛ぶ」
この推論の形式は、正しい(妥当)です。「もし、前提が正しいなら、結論も必ず正しい」という筋道になっています。しかし、結論は、間違っています(ペンギンは飛べません)。なぜでしょうか。それは、前提1が、間違っている(すべての鳥が飛ぶわけではない)からです。
つまり、形式が正しくても、前提が誤っていれば、結論も誤りうるのです。逆に、正しい結論でも、筋道がめちゃくちゃなこともあります。だから、ある主張を吟味するには、二つのことを、別々に問う必要があります。「筋道(形式)は、通っているか」そして「前提は、本当に正しいか」。この区別は、前に議論で学んだ、主張を批判的に検討する、基本の技術です。
論理の、強力さ
論理の、最も強力な点は、その確実さと、普遍性です。前に数学の証明で見たように、論理的に妥当な推論は、誰にとっても、いつでも、成り立ちます。
- 感情や、立場や、文化を超えて、通用する
- 「もし前提を認めるなら、結論を認めざるをえない」という、強制力がある
- 一度、論理的に証明されたことは、確実である
この、論理の確実さと普遍性が、数学や科学を、これほど強力なものにしています。感覚や権威ではなく、論理という、共通の道具で、真理に至る。これは、人類が手に入れた、最も信頼できる、思考の方法の一つです。
しかし——ここからが、このコースの、本当のスリルです——その、強力なはずの論理にも、驚くべき「限界」や「ほころび」が、あるのです。次のレッスンで見るパラドックスや、「証明できないこと」は、その、論理の奥深い限界を、私たちに突きつけます。論理は、強力であると同時に、その内部に、深い謎を抱えているのです。次のレッスンから、その謎の世界へ、踏み込んでいきましょう。
ニュースで使う視点
主張、議論、政策の根拠に触れるときは、論理の視点——「筋道(形式)は通っているか」「前提は、本当に正しいか」——を、別々に問うてみてください。形式と前提を区別して吟味する力は、もっともらしく聞こえる主張の、どこが正しく、どこが怪しいかを、見抜く力になります。次のレッスンでは、論理が生み出す不思議——パラドックスの世界を見ます。