なぜ、どの国にも国歌があるのか
考えてみれば不思議です。ほぼすべての国が国歌を持ち、式典で歌い、スポーツの表彰式で流します。なぜ音楽なのでしょうか。この問いから、音楽と権力の深い関係が見えてきます。
音楽には、言葉や理屈を経ずに感情と一体感を生む力があります。共に歌うとき、同じリズムに体を揺らすとき、人々は「われわれは一つ」という感覚を抱きます。国民国家が「想像の共同体」を束ねる装置として国旗や記念日と並んで国歌を磨いてきたのは、この力を知っていたからです。宗教が賛美歌や聖歌を大切にしてきたのも(宗教の機能)、同じ理由です。音楽は、共同体の接着剤なのです。
権力は音楽を「使い」、そして「恐れる」
この力は、双方向に働きます。
- 動員の音楽:軍歌や行進曲は士気を高め、体制賛美の音楽は権力の正統性を演出してきました。20世紀の全体主義国家は、音楽をプロパガンダの中核に据えました
- 抵抗の音楽:同じ力は権力への抵抗にも使えます。公民権運動の「We Shall Overcome」、独裁下でひそかに歌い継がれた歌、反戦フォーク——歌は、集会と連帯の武器になってきました
そして、ここに重要な証拠があります。権力はしばしば音楽を検閲してきたという事実です。特定の作曲家の演奏禁止、歌詞の改変命令、ジャンルそのものの排斥。無力なものをわざわざ禁じる権力はありません。検閲の歴史は、音楽が持つ実効的な力の、裏返しの証明なのです。
日常の中の「音楽と権力」
この構図は、過去の独裁国家だけの話ではありません。式典でどの曲を流すか、国歌の斉唱をどう扱うかは、現代の民主国家でも論争になります。CMやテーマパークが音楽で感情を設計し、店舗のBGMが購買行動に影響することも知られています(ナッジの聴覚版と言えます)。音楽は常に、誰かの意図とともに鳴っているのです。
ニュースで使う視点
国歌をめぐる論争、式典の選曲、アーティストの政治的発言や楽曲の使用差し止め——音楽が政治面に登場したら、「この音楽は誰を束ね、何を演出しようとしているか」と問うてみてください。次の最終レッスンでは、音楽を動かすもう一つの力——産業とテクノロジーを見ます。