神なき時代の生き方:実存主義
20世紀前半、二度の世界大戦は「人間の理性が歴史を進歩させる」という楽観を打ち砕きました。そのなかで支持を集めたのが実存主義です。
サルトルの標語は「実存は本質に先立つ」。ナイフは「切るため」という本質が先にあって作られます。しかし人間には、あらかじめ決められた目的も設計図もない。まず存在してしまい、その後で自分が何者になるかを選び続けるしかない——。
この考えは、自由の輝きと同時に重さも突きつけます。「人間は自由の刑に処されている」とサルトルは言いました。すべてが自分の選択なら、言い訳はできないからです。
哲学は言語に目を向けた:言語論的転回
同じ20世紀、哲学のもう一つの潮流は、問いの矛先を言語に向けました。私たちは言語で考え、言語で世界を切り分けています。ならば、哲学の問題の多くは「世界の謎」ではなく「言語の使い方のもつれ」なのではないか?
この転換を言語論的転回と呼びます。中心人物の一人ウィトゲンシュタインは、言葉の意味は辞書的な定義ではなく、生活の中での使われ方にあると考えました。「ゲーム」という言葉に全ゲーム共通の定義はなくても、私たちは問題なく使いこなしています。言葉は道具箱の道具のようなものなのです。
正義を設計する:ロールズの正義論
1971年、ロールズの『正義論』は政治哲学を復興させました。彼の思考実験「無知のベール」はこうです。
あなたはこれから生まれる社会のルールを決められます。ただし、自分がその社会で金持ちか貧乏か、健康か病気か、多数派か少数派かを一切知らないとしたら——どんなルールを選びますか?
おそらく、最も不遇な立場に落ちても耐えられる社会を設計するはずです。ロールズはこの装置から、自由の平等と、最も不遇な人々の状況を改善する範囲でのみ格差を認める原則を導きました。
哲学は終わらない
実存主義は「私はどう生きるか」を、言語哲学は「私たちは何を語っているのか」を、正義論は「社会はどうあるべきか」を問い直しました。AIが人間らしく語り始めた現代、「心とは何か」「責任とは何か」という問いは新しい切実さを帯びています。哲学の道具箱は、これからも更新され続けます。あなたの問いも、その一部になるかもしれません。