「散らかる」ことの、法則
前レッスンで、熱は一方向にしか流れない、という謎に突き当たりました。この謎を解く鍵が、物理学で最も有名で、最も奥深い概念の一つ——エントロピーです。エントロピーは、一見、難しそうな言葉ですが、その核心は、誰もが日々経験している、「物事は、放っておくと散らかる」という、身近な真実にあります。この単純な観察が、実は、宇宙全体を貫く、最も普遍的な法則につながっているのです。順に、解き明かしましょう。
エントロピーとは、乱雑さのこと
エントロピーとは、一言で言えば、乱雑さ、散らばり具合の度合いです。
- 整った状態(秩序がある)は、エントロピーが低い
- 乱雑な状態(無秩序に散らばっている)は、エントロピーが高い
例で考えましょう。きれいに整理された部屋は、エントロピーが低い。散らかった部屋は、エントロピーが高い。新品のトランプが、順番に並んでいれば、エントロピーは低い。よく切って、バラバラの順になれば、エントロピーは高い。インクを水に一滴垂らした瞬間は、インクが一箇所に集まっていて、エントロピーが低い。時間が経ち、インクが水全体に広がると、エントロピーが高い。
つまり、エントロピーは、「どれくらい、乱雑に散らばっているか」を測る、ものさしなのです。この概念を使うと、前レッスンの熱の一方向性も、説明できます。熱が高温から低温へ流れて、全体が同じ温度になるのは、熱(粒の運動)が、一箇所に集まった状態(低エントロピー)から、全体に散らばった状態(高エントロピー)へ、向かうことなのです。
エントロピー増大の法則
ここから、宇宙で最も普遍的な法則の一つが、導かれます。エントロピー増大の法則(熱力学第二法則)です。それは、こう述べます。
放っておくと、全体としてのエントロピー(乱雑さ)は、増える方向に進む。
つまり、物事は、自然に、より乱雑で、散らばった状態へと向かう傾向があるのです。私たちの日常経験は、この法則に満ちています。
- 部屋は、放っておくと、散らかる(片付けるには、努力=エネルギーが要る)
- 熱いものは、冷める(周りに熱が散らばる)
- インクは、水に広がる(集まったまま、にはならない)
- 建物は、朽ちる(整った構造が、崩れていく)
逆のこと——散らかった部屋が、ひとりでに片付く。冷めたお茶が、ひとりでに熱くなる。広がったインクが、ひとりでに一滴に戻る——これらは、自然には、決して起きません。エントロピーは、増える一方で、自然には減らない。これが、宇宙の、逃れられない大原則です。
なぜ、この法則が成り立つのでしょうか。直感的には、こう理解できます。「整った状態」は、実現の仕方が少ない(トランプが順番通りなのは、一通りしかない)。一方、「乱雑な状態」は、実現の仕方が圧倒的に多い(バラバラの並びは、天文学的な数がある)。だから、でたらめに変化すれば、圧倒的に数の多い「乱雑な状態」に、行き着く可能性が高い。エントロピー増大は、確率の必然なのです。
秩序を作るには、エネルギーが要る
エントロピー増大の法則は、一見、絶望的に聞こえるかもしれません。「すべては、乱雑さへ向かう」。しかし、大切な補足があります。それは、局所的には、秩序を作ることができる、ということです。ただし、それには、エネルギーと、代償が必要です。
- 散らかった部屋を、片付けることは、できます。しかし、それには、あなたのエネルギー(労力)が要ります。そして、そのエネルギーを使う過程で、全体としては、エントロピーが増えています(あなたは熱を発し、食べ物を消費する)
- 冷蔵庫は、中を冷たく(低エントロピーに)保てます。しかし、そのために電気を使い、外に熱を出し、全体としてはエントロピーを増やしています
つまり、「全体のエントロピーは増える」という大原則の中で、エネルギーを使えば、局所的に秩序を作れるのです。ただし、局所的な秩序の代償として、全体では、それ以上のエントロピーが生まれる。秩序は、タダでは作れない。この視点は、生命や、文明、組織といった「秩序ある存在」が、なぜ絶えずエネルギーを必要とするのかを、説明してくれます。秩序を保つには、働き続けなければならない。放っておけば、すべては乱雑さへと崩れていくのですから。
ニュースで使う視点
エネルギー効率、廃熱、劣化、秩序の維持——熱やエントロピーに関わる話題に触れるときは、「秩序を保つには、エネルギーが要る」「全体としては、乱雑さが増える方向に進む」という視点を思い出してみてください。エントロピーは、エネルギー問題や、あらゆる「維持」の営みを理解する、深い視点を与えてくれます。次のレッスンでは、この法則が、熱をエネルギーに変える技術(熱機関)に、どう関わるかを見ます。