「美しい芸術」という思い込み
私たちは、芸術と美を、同じものだと思いがちです。「芸術=美しいもの」と。しかし、前レッスンまでで美を考えてきた今、鋭い問いを立てられます。芸術と美は、本当に同じなのか。 実は、この二つの関係は、思うより複雑です。特に近代以降の芸術を考えると、「美しい芸術」という思い込みが、揺らいできます。
芸術は、美を目的としない場合がある
かつて、芸術と美は、強く結びついていました。絵画は美しい情景を、音楽は美しい調べを目指す——芸術の目的は、美を生み出すことだ、と考えられていました。
しかし、近代以降の芸術は、この結びつきを、大きく揺るがしました。芸術は、美を生み出すことだけを目的としなくなったのです。
- 問いを投げかける芸術:デュシャンの「泉」のように、「芸術とは何か」を問う。美しさより、問いそのものが作品になる
- 社会を批評する芸術:不正や矛盾を告発する。美しさより、社会への異議申し立てが目的
- 感情を揺さぶる芸術:美しさではなく、衝撃、不安、怒り、悲しみを呼び起こす
つまり、芸術の目的は、美だけではなくなったのです。「美しくない」けれど優れた芸術、いや「美しくないからこそ」力を持つ芸術が、存在します。芸術と美は、重なる部分はあっても、同じではないのです。
「醜さ」を描く芸術の力
特に興味深いのが、あえて不快なもの、醜いもの、恐ろしいものを描く芸術です。なぜ、芸術は、美しくないものを描くのでしょうか。
戦争の悲惨を描いた絵画、社会の暗部をえぐる映画、人間の醜さを描いた文学——これらは、心地よくありません。しかし、大きな力を持ちます。美しいものだけを描いていては、目を背けたくなる真実に、向き合えないからです。前に見たように、芸術は、認識を揺さぶり、私たちに現実を突きつける力を持ちます。あえて醜さや苦しみを描くことで、芸術は、私たちが見ないふりをしている現実——戦争、不正、人間の暗部——に、目を向けさせるのです。ピカソの戦争画が、美しくないのに人々の心を打つのは、この力ゆえです。
美と芸術を、切り離して考える
芸術と美を切り離して考えると、両方が、より豊かに見えてきます。美は、芸術に限らず、自然にも、日常にも、数学にもあります。一方、芸術は、美を含みつつ、それを超えて、問い、批評し、揺さぶり、真実に向き合わせる、多様な営みです。「芸術は美しくあるべきだ」という思い込みを手放すと、現代美術のように「美しくない」作品の価値も、理解できるようになります。現代美術が分かりにくいのは、しばしば、それを「美しいか」で測ろうとするからなのです。「これは何を問い、何を揺さぶるのか」で見れば、違う扉が開きます。
ニュースで使う視点
芸術作品への評価や論争、「不快な」現代アート、公共の場の芸術をめぐる議論——芸術に関わるニュースを読むときは、「これは美を目指しているのか、それとも問いや批評や感情の喚起を目指しているのか」を問うてください。「美しくない=悪い芸術」という単純化を避ける。次の最終レッスンでは、美学を日常に引き戻し、日常のなかの美を考えます。