アズリテ
東洋・日本美術史・ レッスン 1 / 4
人文科学 / 芸術・文学

東洋美術の見方

読了目安 4/灯る概念:

「余白」に、宿るもの

西洋美術を見慣れた目で、東洋の水墨画を見ると、驚くことがあります。画面の、多くが空白なのです。西洋の絵画が、画面を隅々まで描き込むのに対し、東洋の絵は、大きな余白を残す。「描き忘れたのか」「未完成なのか」——そう思うかもしれません。しかし、それは、まったくの誤解です。この余白こそ、東洋美術の、最も深い美意識の一つなのです。このコースでは、西洋とは異なる原理で発展してきた、東洋・日本の美術を読み解きます。それは、美とは何かという問いを、別の角度から考えることでもあります。まず、東洋美術の、独特の見方から始めましょう。

描かないことで、描く

東洋美術、とりわけ水墨画などの伝統に見られる、最も特徴的な原理。それは、「描かないことで、描く」という考え方です。画面のすべてを描き込むのではなく、あえて描かない部分(余白)を、大きく残す。そして、その空白に、深い意味を持たせるのです。

この余白は、「何もない」のでは、ありません。むしろ、積極的な表現です。

  • 空白が、霧や、水や、雲や、無限の空間を、感じさせる
  • 描かれていない部分に、見る人の想像力が、働く
  • 描かれたものと、描かれないものの、対比や調和が、生まれる
  • 対象を超えた、大きな広がりや、静けさを、暗示する

たとえば、水墨画で、一艘の小舟と、わずかな線だけが描かれ、あとは広大な余白だとします。その余白は、果てしない水面であり、霧であり、静寂です。もし、それをすべて描き込んでしまえば、この広がりと、詩情は、失われてしまう。描かないからこそ、より多くを表現できる——これが、東洋美術の、逆説的な美意識です。前に日本の美意識で見た、「引き算の美」に、通じるものです。

写実だけが、美ではない

この余白の美意識は、より大きな、東洋と西洋の美術の違いを、映しています。大まかな傾向として——

  • 西洋美術の主流は、長く、写実——対象を、現実そっくりに、立体的に、緻密に描くこと——を、追求してきました。遠近法、陰影、解剖学的な正確さ。「本物のように見せる」ことに、価値が置かれた(前に西洋美術で見た)
  • 東洋美術は、写実そのものよりも、対象の本質や、精神、気配を捉えることを、重んじる傾向がありました。見たままを写すより、対象の内にあるもの、その生命力や、画家の心を、表現しようとした

だから、東洋の画家は、対象を、そっくりに描くことに、必ずしもこだわりませんでした。むしろ、簡潔な線や、墨の濃淡だけで、対象の本質を、つかもうとした。少ない筆で、多くを語る。これは、前に演劇の様式で見た、「写実を離れて、本質を表す」という美意識と、深く通じています。写実は、美の一つのあり方にすぎず、それだけが美ではないのです。

美意識を、相対化する

東洋美術を学ぶことの、最大の意義は、自分の美意識を、相対化することです。私たちは、いつのまにか、ある美の基準を、「当たり前」だと思っています。「うまい絵とは、本物そっくりの絵だ」といったように。しかし、東洋美術を知ると、それが、一つの文化の、一つの基準にすぎないと、気づきます。

  • 充満を重んじる美もあれば、余白を重んじる美もある
  • 写実を追う美もあれば、暗示や象徴を追う美もある
  • 華やかさの美もあれば、簡素・枯淡の美もある

これは、前に女性史や演劇で見た、「自分の足場を相対化する」営みの、美術版です。異なる美の原理を知ることは、優劣をつけるためではありません。美の表現には、一つの正解があるのではなく、文化によって、異なる美の原理があると理解し、より多様な美を味わえるようになる——それが、東西の美術を比べて学ぶ、豊かさなのです。自分が慣れ親しんだ美だけでなく、異なる美をも味わえるようになることは、人生を、より豊かにしてくれます。

ニュースで使う視点

美術展、日本・東洋の美術、伝統的な芸術に触れるときは、「これは、西洋とは異なる、どんな美の原理にもとづいているか」「余白や暗示は、何を表現しているか」を考えてみてください。東洋美術の視点は、多様な美を味わう目を養い、そして、自分の美意識を相対化する力になります。次のレッスンでは、東洋美術の源流の一つ、中国美術の世界を見ます。

理解度チェック

全問回答でレッスン完了・概念が灯ります
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Q1東洋美術(とくに水墨画などの伝統)に見られる特徴として、しばしば指摘されるものはどれですか?
Q2西洋美術と東洋美術を比較して学ぶことに、どんな意義がありますか?

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