「データで決める」は良いことか
前の2レッスンで、グラフを見抜き(可視化)、実験で確かめる(A/Bテスト)方法を学びました。こうしたデータにもとづく意思決定(データドリブン)は、現代の組織の合言葉です。では、これは手放しに良いことなのでしょうか。答えは「強力だが、使い方を誤ると危険」です。この両面を理解することが、データ時代の教養です。
データドリブンの本当の強み
データで決めることの最大の価値は、人間の判断のクセを補正できることです。認知バイアスや行動経済学で学んだように、人間の直感は系統的に歪みます。信じたいことを信じ(確証バイアス)、印象的な出来事を過大評価し(利用可能性)、声の大きい人に流される(社会的影響)。データは、こうした歪みに対する錨(いかり)になります。「なんとなくうまくいっている気がする」を、「実際の数字はどうか」で検証できる。これは大きな進歩です。
落とし穴——「測れるもの」が支配する
しかし、データドリブンには深い落とし穴があります。測れるものが、測れないものを駆逐する傾向です。世の中には、重要なのに測りにくいものがたくさんあります。信頼、創造性、長期的な幸福、文化の豊かさ、倫理。データで決める文化が行き過ぎると、こうした測りにくいけれど大切なものが、意思決定から抜け落ちていきます。「数字に出ないものは存在しないかのように扱われる」のです。
さらに厄介なのがグッドハートの法則——「ある指標が目標になると、それは良い指標でなくなる」という現象です。テストの点数が目標になれば、生徒は学ぶより点を取るテクニックに走る。病院が待ち時間の短縮を目標にすれば、診察が雑になるかもしれない。C-3の計測設計で「測れるものへの偏り」を見ましたが、それは指標を追うほど本質から離れるという、より根深い問題につながっています。指標は現実の代理にすぎないのに、いつしか指標そのものが目的になってしまうのです。
データと判断のバランス
だから成熟したデータ活用とは、「すべてをデータで決める」ことではありません。データで人間の判断を補強しつつ、データに写らない大切なものを人間が守る——この両輪です。データは強力な道具ですが、「何を測るか」「何を目標にするか」を決めるのは、価値観をもった人間の仕事です。数字は問いに答えてくれますが、どの問いが大切かは教えてくれないのです。
ニュースで使う視点
「エビデンスにもとづく政策」「KPI経営」「成果を数値目標で管理」——データ活用を掲げる取り組みを見たら、二つを問うてください。それは人間のバイアスを補正しているか(良い面)。そして、測れないけれど大切なものを切り捨てていないか、指標が目的化していないか(危うい面)。 次の最終レッスンでは、このデータの力に伴う責任——データの倫理を扱います。