「リスク」に満ちた時代
現代社会は、しばしば「リスク社会」と呼ばれます。私たちは日々、無数のリスク——事故、災害、病気、経済の変動、環境問題、新しい技術の影響——に、囲まれて生きています。ニュースは、リスクの話であふれています。しかし、ここに、大きな問題があります。私たちのリスクの受け止め方は、しばしば、実際の危険とずれているのです。恐れすぎたり、逆に油断したり。このコースでは、リスクを社会の視点から捉え直します。前に確率で学んだリスクの「計算」を土台に、今度は、人々がリスクをどう感じ、社会がどう反応するかという、リスクの「人間的な側面」を読み解きましょう。
リスクの大きさと、感じ方は別
まず、リスクの基本を確認します。理屈のうえでは、リスクの大きさは、二つの要素で測れます。
- 起こる確率:それが、どのくらいの頻度で起きるか
- 起きたときの影響:起きたら、どのくらい深刻か
前に期待値で学んだように、この二つを掛け合わせると、リスクの大きさの、客観的な目安が得られます。めったに起きず影響も小さいものは、小さなリスク。頻繁に起き影響も大きいものは、大きなリスク。これが、リスクの「計算」です。
しかし——ここからが、このコースの核心です——人々が、そのリスクをどう感じ、どう反応するかは、この計算通りには、いきません。同じ大きさのリスクでも、あるものは過剰に恐れられ、あるものは軽視される。この、人々の主観的なリスクの受け止め方を、リスク認知と言います。そして、リスク認知は、実際の危険の大きさと、しばしば大きくずれるのです。この「ずれ」が、リスクをめぐる社会の混乱の、根本にあります。
なぜ、認知はずれるのか
では、なぜ人々のリスク認知は、実際の危険とずれるのでしょうか。研究は、人がどんなリスクを、実際以上に大きく感じるかについて、共通の傾向を明らかにしてきました。人は、次のようなリスクを、確率以上に怖く感じます。
- 自分で制御できないもの:自分で運転する車より、他人に委ねる乗り物のほうが、実際の確率に関わらず、怖く感じられる
- なじみのない、新しいもの:よく知らない新技術や未知の現象は、慣れたものより怖く感じる
- 恐ろしい印象を与えるもの:結果が悲惨で、想像すると恐ろしいものは、確率が低くても大きく恐れられる
- 目立つ、印象的な出来事:前に体感治安で見たように、大きく報道され、印象に残る出来事(利用可能性ヒューリスティック)は、実際より高く見積もられる
- 一度に大勢が犠牲になるもの:同じ死者数でも、一度に大勢が犠牲になる出来事は、少しずつ積み重なるものより、大きく恐れられる
逆に、身近で慣れたリスク、自分で選んだリスク、少しずつ進む問題は、実際より低く見積もられがちです。だから、私たちは、確率的にはまれな出来事を過剰に恐れ、日常的な大きなリスクを見過ごす、という誤りを、しばしば犯すのです。これは人間の心の自然な傾向であり、誰にでも起こります。
リスクは、社会的なもの
リスク認知のずれは、個人の心の問題にとどまりません。それは、社会全体を動かします。多くの人が同じようにリスクを感じ(あるいは恐れ)、それが世論となり、政策や行動を左右します。
つまり、リスクは、単なる確率の問題ではなく、人々の認知、感情、社会の反応が絡み合う、社会的な現象なのです。だからこそ、リスクを「計算」するだけでなく、「社会がどう受け止めるか」まで理解することが、現代を生きる上で欠かせません。次のレッスンからは、この社会的なリスクの、伝え方や不安の問題を、掘り下げていきます。
ニュースで使う視点
事故、災害、新技術、健康、経済——リスクを報じるニュースに触れるときは、「この危険は、実際の確率と影響から見て、どのくらいの大きさか」「人々の受け止め方は、それとずれていないか」を考えてみてください。リスクの計算と、リスクの感じ方を区別する目が、冷静な判断の土台になります。次のレッスンでは、リスクがどう伝わり、歪むのかを見ます。