代表戦の、あの熱狂
オリンピックやワールドカップ——国を代表するチームの試合に、ふだんスポーツを見ない人まで熱狂します。国旗を振り、国歌を歌い、勝てば歓喜し、負ければ落胆する。この熱狂は、いったい何なのでしょうか。前レッスンで「スポーツは社会を映す」と述べましたが、その最も強力な現れが、スポーツとナショナリズムの関係です。ここには、国民国家や集団心理の、深い仕組みが潜んでいます。
なぜ、国家と結びつくのか
スポーツが、なぜこれほど強くナショナリズム——国民としての一体感や誇り——と結びつくのでしょうか。
鍵は、代表チームの勝敗が、「私たちの国」の勝敗として体験されることにあります。選手個人ではなく、「日本が勝った」「我が国が負けた」と感じる。このとき、ふだんは意識しない「国民である自分」が、前面に出てきます。前に社会心理学で見た、「私たち(内集団)」への帰属意識が、試合という分かりやすい舞台で、一気に高まるのです。
しかも、スポーツは、この感情を安全に、分かりやすく呼び起こします。実際の国家間の対立とは違い、ルールのある競技の中で、「我が国」を応援し、勝敗に一喜一憂できる。国旗、国歌、ユニフォーム——象徴が、この一体感を強めます。だからこそ、国際大会は、国民感情を高める、極めて強力な装置になるのです。
光と、影
このスポーツとナショナリズムの結びつきには、光と影の両面があります。どちらか一方だけを見てはいけません。
光の面:
- 人々に、一体感と誇りを与える。ばらばらな個人が、「同じ国の仲間」として、喜びを分かち合える
- 国境を越えた平和的な交流の場になる。異なる国の人々が、スポーツを通じて出会い、互いを知る。対立ではなく、競い合いを通じた交流です
- 差別や困難を乗り越えた選手の活躍が、社会に希望や変化をもたらすこともある
影の面:
- 排他的な感情につながりうる。「我が国」への熱狂が、相手国への敵意や、偏見に転じることがある
- 政治的に利用されうる。時の権力が、スポーツの熱狂を、国威発揚や、国内の不満から目をそらす手段に使うことがあります。歴史上、大きな国際大会が、政治的な演出の舞台になった例は数多くあります
- 勝利への過度な国家的重圧が、選手を追い詰めることもある
熱狂を、自覚的に楽しむ
では、私たちはどうすればよいのでしょうか。代表戦に熱狂するのが「悪い」わけではありません。それは、スポーツの大きな喜びの一つです。大切なのは、その熱狂の仕組みを自覚することです。
「今、自分は国民としての一体感を味わっている」「この熱狂は、誰かに利用されてはいないか」「相手国への敬意を忘れていないか」——こうした一歩引いた視点を持ちながら楽しむこと。それが、ナショナリズムの感情に飲み込まれず、スポーツを健全に味わう道です。熱狂しながらも、その熱狂を外から眺める目を失わない。これは、スポーツに限らず、あらゆる集団の感情と付き合う上での、大切な教養です。
ニュースで使う視点
国際大会、代表チーム、スポーツと政治が交わるニュースを読むときは、「この熱狂は、どんな一体感を生んでいるか」「政治的に利用されていないか」「相手への敵意に転じていないか」を意識してみてください。次のレッスンでは、スポーツを動かすもう一つの巨大な力——お金、スポーツの経済を見ます。