舞台の上の、特別な魔法
映画やドラマ、動画配信があふれる現代に、なぜ、わざわざ劇場へ足を運び、演劇を見るのでしょうか。そして、なぜ人類は、二千年以上もの間、舞台で物語を演じ続けてきたのでしょうか。このコースでは、演劇という芸術の見方を学びます。演劇には、映画や文学とは違う、独特の魔法があります。それを理解すると、舞台がもっと豊かに見えてくるだけでなく、「人間が物語を必要とする」ことの、深い意味も見えてきます。まず、演劇とは何か——その本質から、始めましょう。
「生(ライブ)」という、本質
演劇の本質を理解する鍵は、それを、映画やドラマと比べることです。どちらも、物語を、俳優が演じて見せる点は、同じです。しかし、決定的な違いがあります。それは、演劇が「生(ライブ)」の芸術だ、ということです。
- 映画やドラマは、あらかじめ撮影し、編集した、「完成品」を届けます。俳優は、その場にはいません。何度でも、同じものを再生できます
- 演劇は、俳優が、観客と同じ空間、同じ時間に、生身の身体で、その場で上演します。演じ手と観客が、その場を共有するのです
この違いは、体験を、根本から変えます。演劇では、俳優と観客が、同じ空気を吸っています。俳優の息づかい、汗、緊張が、直接伝わってくる。そして、観客の反応——笑い、息を呑む音、拍手——が、俳優に伝わり、上演に影響します。演じ手と観客が、互いに影響し合いながら、その場で、一つの体験を作り上げていく。だから、同じ演目でも、毎回の上演が、唯一のものになります。昨日の公演と、今日の公演は、決して同じではない。この「一回限り」「取り返しのつかなさ」が、演劇に、特別な緊張感と、かけがえのなさを、与えているのです。
身体が、そこにある
演劇のもう一つの本質は、生身の身体です。俳優は、自分の体そのものを使って、別の人間を、目の前で生きてみせます。編集も、撮り直しも、CGも、ありません。俳優の身体、声、動きが、すべてです。
この「身体がそこにある」ことの力は、大きなものです。
- 目の前で、生身の人間が、喜び、苦しみ、闘い、死んでいく。その迫力は、映像とは異なる、直接的なものです
- 観客は、同じ空間にいる俳優の感情を、いわば「感染」するように、分かち合う
- 俳優と観客の間に、目に見えない交流が、生まれる
演劇は、テクノロジーが介在しない、人間の身体と身体が、直接向き合う芸術です。だからこそ、どれほど映像技術が発達しても、演劇には、それに代えがたい何かがあるのです。生身の人間が、目の前にいる——この単純な事実が、演劇の力の、根源にあります。
なぜ、二千年も続いてきたのか
演劇の歴史は、非常に古く、古代ギリシャにまで、さかのぼります。そして、世界各地で、それぞれの演劇の伝統が、育まれてきました(後のレッスンで見ます)。二千年以上、形を変えながら、演劇は生き続けてきた——これは、何を意味するのでしょうか。
それは、生身の人間が、目の前で物語を演じるのを見るという体験に、人類にとって、根源的な価値があることを、示唆します。
- 物語を通じて、他者の人生を、疑似体験する
- 笑い、泣き、感情を、大勢で分かち合う
- 人間とは何か、社会とは何かを、考える
- 共同体が、同じ物語を共有し、結びつく
これらは、前に神話や物語で見た、物語の力の、最も直接的な形です。人類は、火を囲んで物語を語り合った時代から、物語を演じ、見ることを、必要としてきました。演劇は、その最も古く、最も生き生きとした形なのです。映像の時代にも演劇が消えないのは、この、人類の根源的な欲求に、演劇が応えているからなのです。
ニュースで使う視点
舞台、演劇、ライブパフォーマンスに関わる話題に触れるときは、「これは、生身の身体で、その場で一回限りに演じられる芸術だ」という演劇の本質を、思い出してみてください。また、コンサートやスポーツなど、あらゆる「ライブ体験」の価値を考えるときにも、この視点は生きます。次のレッスンでは、演劇の二大形式——悲劇と喜劇の仕組みを見ます。