お金で、幸福は買えるのか
「お金で幸福は買えない」とよく言われます。一方で、「きれいごとだ、お金は大事だ」という声もあります。では、実際のところ、お金と幸福には、どんな関係があるのでしょうか。前レッスンで、GDPは幸福を測れないと述べました。では、幸福そのものを、経済学はどう捉えてきたのでしょうか。「幸福の経済学」と呼ばれるこの分野は、人々の幸福感を実際に調べ、お金や経済との関係を、データで明らかにしようとしてきました。その知見は、哲学が問うてきた幸福を、実証の面から補ってくれます。
所得と幸福——単純な比例ではない
幸福の経済学が明らかにしてきた、重要な傾向があります。それは、所得と幸福の関係は、単純な比例ではない、ということです。
多くの研究が、次のような傾向を示してきました。
- 所得が低いうちは、所得の増加が、幸福を大きく高める。これは当然です。食べ物、住まい、安全といった基本的な必要が満たされることは、幸福に直結します。貧困からの脱出は、幸福を大きく改善します
- しかし、ある程度豊かになると、所得がさらに増えても、幸福の伸びは緩やかになる傾向がある。基本的な必要が満たされた後は、お金が増えても、幸福はそれほど増えなくなる
つまり、「お金は、ないと不幸だが、ある程度を超えると、幸福への効果は薄れる」。これが、大まかな傾向です。お金は幸福の必要条件の一つですが、十分条件ではないのです。この知見は、「もっと稼げば幸福になれる」という思い込みと、「お金なんて関係ない」という理想論の、両方を退けます。真実は、その間にあります。
なぜ、お金の効果は薄れるのか
なぜ、豊かになると、お金の幸福への効果が薄れるのでしょうか。いくつかの理由が考えられています。
- 慣れ(順応):人は、豊かさに慣れてしまいます。収入が増えて嬉しくても、しばらくすると、それが当たり前になり、幸福感は元に戻っていく。前に心理学で見た、人間の適応の力です
- 比較:これが重要です。人の幸福感は、自分の絶対的な豊かさだけでなく、周りと比べて自分がどうか、という相対的な位置に左右されます。みなが豊かになっても、自分だけが取り残されれば不幸を感じ、逆に、周りより恵まれていれば幸福を感じる
- 必要の階段:基本的な必要が満たされると、次に人が求めるのは、お金では買いにくいもの(人間関係、意味、承認)になっていく
この「比較」の心理は、とりわけ重要です。これは、前レッスンで見た格差の問題と、深く結びつきます。社会全体が豊かになっても、格差が大きければ、多くの人が「他人より劣っている」と感じ、幸福感が高まりにくい。つまり、社会の幸福を考えるとき、平均的な豊かさだけでなく、豊かさがどう分配されているかが、大きな意味を持つのです。
幸福を「測る」ことの意味と注意
幸福の経済学は、人々に「あなたはどれくらい幸福ですか」と尋ねる調査などを通じて、幸福を測ろうとします。これには、大きな意義があります。GDPだけでは見えない、人々の実際の暮らしの良さを、捉えようとするのですから。
ただし、統計リテラシーの注意も必要です。幸福感は主観的で、文化や言葉、その時の気分にも左右されます。国際比較では、「幸福」の捉え方の文化差にも注意が要ります。だから、幸福の数字は、慎重に扱うべきものです。それでも、「幸福を測ろうとする」試み自体が、「経済成長がすべて」という発想への、重要な問い直しなのです。何を測るかは、何を目指すかを映します。幸福を測ろうとすることは、幸福を社会の目標として真剣に考える、その表れなのです。
ニュースで使う視点
幸福度ランキング、生活満足度の調査、経済と幸福に関するニュースを読むときは、「お金と幸福の関係は単純ではない」ことを思い出してください。所得の絶対水準だけでなく、格差や比較、慣れといった要素が、幸福には関わっています。次のレッスンでは、お金以外に、何が幸福を決めるのかを見ます。