「正しい日本語」って、何だろう
「最近の若者のことばは乱れている」「その日本語は間違っている」——ことばをめぐって、私たちは、よくこんな言い方をします。しかし、ここで問うてみましょう。「正しいことば」とは、そもそも何でしょうか。誰が、いつ、決めたのでしょうか。このコースでは、ことばを、規範(こうあるべき)ではなく、科学の目で観察します。それが、言語学という学問です。前に言語の哲学で学んだ「言語とは何か」という問いを、今度は、観察と記述の科学として、深めていきます。ことばを科学すると、日常のことばの見え方が、がらりと変わります。
裁かずに、観察する
言語学の、最も基本的な姿勢を、まず押さえましょう。それは、ことばを裁かずに、観察することです。
ことばへの態度には、二つの立場があります。
- 規範的な立場:「正しいことば」を定め、それに合わない使い方を「間違い」「乱れ」として正そうとする。学校の国語や、マナーの世界の立場です
- 記述的な立場:人々が、実際にどう話しているかを、ありのままに観察し、その仕組みを記述・説明する。これが、言語学の立場です
言語学者は、「その言い方は間違いだ」とは言いません。「人々が実際にそう話しているなら、それは観察すべき言語の事実だ」と考えます。たとえるなら、天文学者が、星の動きを「正しい」「間違い」と裁かずに観察するのと、同じです。ことばは、裁く対象ではなく、驚くほど精巧な、観察すべき自然現象なのです。
この視点に立つと、「ことばの乱れ」と呼ばれるものも、違って見えてきます。それは「乱れ」ではなく、ことばの変化——言語が生きている証拠——かもしれないのです。
すべての言語は、対等である
言語学が明らかにした、重要な知見があります。それは、あらゆる言語・方言に、言語としての優劣はない、ということです。
世界には、数千の言語があります。話者が数億人の言語も、数百人の言語もあります。国際的に使われる言語も、一つの村だけの言語もある。しかし、言語学的に調べると——
- どの言語も、体系的な文法を持っています。「文法のない、でたらめな言語」は、存在しません
- どの言語も、その話し手の生活に必要な、十分な表現力を持っています
- 「進んだ言語」「遅れた言語」「原始的な言語」という区別は、科学的には成り立ちません
方言も、同じです。「方言は、標準語が崩れた、文法のないことば」と思われがちですが、これは誤解です。どの方言も、独自の体系的な文法を持つ、立派な言語変種です。
では、なぜ、ある言語や話し方が「格上」に、別のものが「格下」に感じられるのでしょうか。それは、言語そのものの優劣ではなく、その話し手の、社会的な力や地位の反映です。前に言語と権力で見たように、政治的・経済的に力を持つ集団のことばが、「標準」「正しい」とされてきたのです。「標準語」も、多くの場合、特定の地域・階層のことばが、国家の統一のために選ばれ、整えられたものです。言語の威信は、社会の力関係の鏡——この視点は、ことばをめぐる偏見から、私たちを自由にしてくれます。
ことばの精巧さに、驚く
言語学のもう一つの魅力は、当たり前に使っていることばの、驚くべき精巧さに気づかせてくれることです。あなたは、日本語の文法規則を、すべて説明できるでしょうか。「は」と「が」の違いは?なぜ「大きい犬」とは言えて「大きいの犬」とは言えないのか?——説明は難しくても、あなたは、これらを完璧に使いこなしています。
つまり、私たちは、明示的に習ったわけではない、膨大で精巧な規則の体系を、頭の中に持っているのです。子どもは、教科書なしに、数年でこの体系を身につけます。この「無意識の知識」の精巧さこそ、言語学が解明しようとする、大きな謎です。ことばを科学する目を持つと、日常の会話が、奇跡のような現象に見えてきます。
ニュースで使う視点
「ことばの乱れ」「正しい日本語」「敬語の誤用」といった話題に触れるときは、「これは規範の話か、それとも観察される言語の事実か」を区別してみてください。そして、ことばの優劣の感覚の裏に、社会的な力関係が隠れていないかも。ことばを科学の目で見る視点は、言語をめぐる思い込みから、あなたを自由にします。次のレッスンでは、ことばが変わり続けるという事実を見ます。