常識の通じない世界を、技術にする
「量子コンピュータ」「量子暗号」——ニュースで目にする量子技術は、次世代技術の本命として、世界中で開発競争が繰り広げられています。しかし、「量子って、そもそも何がすごいのか」を説明できる人は、多くありません。このコースでは、話題先行になりがちな量子技術を、原理から現実まで、冷静に読み解きます。前に現代物理で触れた量子の世界を、今度は技術の視点から捉え直しましょう。出発点は、一つの驚くべき事実です——ミクロの世界では、日常の常識が通じない。そして、その「奇妙さ」こそが、新技術の源なのです。
ミクロの世界の、奇妙な作法
原子や電子のような、ごく小さな粒子の世界——量子の世界——では、日常の直感に反する現象が、実際に起きています。技術の理解に必要な範囲で、その代表を押さえましょう。
- 重ね合わせ:日常の世界では、コインは、表か裏か、どちらかです。しかし量子の世界では、粒子が、複数の状態を「重ね合わせ」で同時に持つことができます。「表でもあり裏でもある」ような状態が、観測するまで、実際に存在するのです
- 観測の影響:そして、観測すると、状態は一つに定まります。見るという行為が、対象の状態に影響する——日常では考えられないことです
- もつれ:離れた粒子どうしが、不思議な相関で結ばれる「もつれ」という現象もあります。一方を観測すると、もう一方の状態が、瞬時に定まる関係です
これらは、SFでも比喩でもなく、実験で繰り返し確認された、自然の実際の性質です。前に科学史で見たように、量子の発見は、物理学の世界観を根底から変えました。私たちの日常の直感は、人間サイズの世界で育ったもので、ミクロの世界には、そのまま通用しないのです。
奇妙さを、「資源」に変える
さて、ここからが、このコースの本題です。20世紀の物理学者たちは、量子の奇妙な性質を発見しました。そして、現代の科学者と技術者たちは、次の一歩を踏み出しました。その奇妙な性質を、技術の資源として、利用するのです。これが、量子技術の基本発想です。
従来の技術にとって、量子の振る舞いは、どちらかといえば厄介者でした。部品が小さくなりすぎると、量子の効果がノイズとして現れ、誤動作の原因になる。しかし、発想を逆転させたらどうか——
- 重ね合わせを使えば、複数の可能性を、同時に扱う計算ができるのではないか
- 観測が状態を変える性質を使えば、盗聴すると必ずバレる通信が作れるのではないか
- 量子の敏感さを使えば、超精密な計測ができるのではないか
つまり、量子技術とは、「常識外れの自然の性質を、打ち消すのではなく、積極的に活かす」という、発想の大転換なのです。奇妙さを、力に変える。この転換が、計算・通信・計測のそれぞれで、従来技術の限界を超える可能性を開きつつあります。
なぜ今、世界が競うのか
量子技術は、まだ発展途上です。それなのに、なぜ、世界中の国家と企業が、巨額の投資を注いで競っているのでしょうか。理由は、その潜在的な影響の大きさにあります。
- 量子コンピュータが本格化すれば、創薬、材料開発、最適化など、特定の重要な計算で、従来のコンピュータを圧倒する可能性がある
- 同時に、現在の暗号の一部を破る可能性も指摘され、安全保障にも直結する
- だからこそ、「先に握った者が、大きな優位を得る」と見られ、標準化や人材をめぐる競争が、すでに始まっている
ただし、このアズリテで繰り返し学んだように、新技術には、期待先行の宣伝もつきものです。量子技術の現在地——何ができて、何がまだできないのか——を冷静に見極めることを、このコースの軸にしていきます。次のレッスンでは、その本丸、量子コンピュータの仕組みと現実を見ましょう。
ニュースで使う視点
量子技術、量子コンピュータの開発競争に関わるニュースに触れるときは、「量子技術とは、ミクロの世界の奇妙な性質を、資源として利用する技術だ」という基本を思い出してみてください。原理を押さえておくと、誇大な宣伝と実質的な進展を、見分けやすくなります。次のレッスンでは、量子コンピュータの仕組みを見ます。