トルコで開かれた NATO の首脳会議が閉幕し、アメリカ以外の加盟国がヨーロッパの防衛でより大きな役割を担うことが確認された。背景には、アメリカが各国に国防支出の増額を促してきた経緯がある。この「誰がどれだけ負担するか」という議論は、教養の視点で見ると、実はとても普遍的な構造を持っている。
鍵になるのは、同盟による防衛が「みんなの安全」という性質を持つことだ。ある国が防衛に力を注いで抑止力が保たれれば、その安心は加盟国みなが受け取れる。すると各国には「自分は多く払わず、他国の負担にただ乗りしたい」という誘因が生まれる。全員にとって望ましいことに誰も費用を出したがらない——この協力の難しさは、環境問題でも公共サービスでもくり返し現れる型で、負担分担の綱引きはその一例にすぎない。
もう一つの見方が、力による均衡だ。世界政府のない国際社会では、最後に頼れるのは自国の力だと各国は考える。同盟相手への依存を薄め、自前の防衛力を厚くしようとする動きは、この発想の表れと読める。一方で、同盟という制度を通じた協調に価値を置く見方もある。負担のニュースを、どちらの国が正しいという勝敗ではなく、「みんなの財をどう支えるか」という古くて新しい問いとして眺めると、見える景色が変わってくる。