毎年のように「ムダな支出を削る」と語られるのに、なかなか進まない——今回の結果は、その難しさの構造を映している。
租税特別措置(特定の産業や行動を優遇する税の例外)や補助金は、国家予算の一部でありながら、一つひとつに明確な受益者がいる。ある業界にとっては数百億円の優遇でも、負担する国民一人あたりでは小さな額に薄まる。得をする側は必死に守り、コストを負う側は関心を持ちにくい——この「受益は集中し、負担は分散する」非対称が、集合行為の問題として廃止を阻む。全体では見直したほうが得でも、個別の項目は残り続けるのだ。
もう一つ効いているのが、今回が各省庁の「自主点検」だった点だ。官僚制は自らが所管する政策を正当化する誘因を持つため、自分で自分の支出に切り込むのは難しい。財務省が「査定官庁」として外から睨みを利かせる仕組みがあるのは、まさにこのためである。「満足できない」という不満は、誰かの資質の問題としてではなく、この構造への反応として読むと見通しがよい。
とはいえ、削減額の多寡だけで拙速に評価するのも危うい。優遇や補助金には当初の政策目的があった。問われているのは「それが今も有効か」を一件ずつ検証する作業であり、廃止が少ないこと自体がただちに失敗を意味するわけではない。誰が得をし、誰がコストを負い、当初の目的は達せられたか——支出を削る話は、いつもこの問いに立ち返る。