なぜ一つの県の判断に、全国が10年近く待たされたのか。この構図は「集合行為」の問題として読むと見通しがよくなる。リニアの便益——東京・名古屋・大阪が最短で結ばれる時間短縮——は全国に薄く広く行き渡る。一方、静岡は県内に駅がなく列車は素通りするのに、南アルプスをトンネルで貫くことで大井川の水量が減る恐れという負担だけを負う。便益は分散し、負担は一点に集中する。この非対称があるかぎり、静岡だけが慎重になるのは利己ではなく、むしろ理にかなっている。
だから決着は「説得」ではなく「トレードオフの調整」で進んだ。JR東海は工事で川の流量が実際に減れば補償するという確認書を交わし、県は自然環境保全協定と引き換えに着工を認める。負担者に補償を約束することで、外に押し付けていたコスト(外部性)を事業の内側に取り込んだわけだ。
見落とせないのは時間という費用である。開業は当初の2027年から2036年以降へ。慎重な手続きの代償として、全国が高速鉄道を使えない年月がそのぶん延びる。速さも、環境の担保も、どちらも「タダ」ではない。水や生態系という値札のつかないものに、私たちはどれだけの順番を与えるのか——環境倫理が問うのはそこである。