少子化は、たいてい「その国ならではの事情」で語られます。日本なら働き方、別の国なら宗教や住宅事情。ところが理化学研究所と東北大学の研究チームが、237もの国と地域の平均寿命と出生率を並べてみると、国境を越えた共通の模様が浮かび上がりました。少子化には「二つの普遍的な経路」がある、というのです。
一つ目の経路は1949年ごろまで。平均寿命が延びるにつれ、出生率は緩やかに下がっていきます。二つ目の経路は1950年以降で、寿命が少し延びただけで出生率が一気に、坂を転げるように下がる。同じ「少子化」でも、進み方の勾配がまるで違うのです。研究チームは、この背後にある切り替わりを一つの数理モデルで説明しました。人々が「できるだけ多くの子を持つ」戦略から、「子どもの数を絞ってでも、一人ひとりの教育に手厚く投じる」戦略へと乗り換えていく、という筋書きです。
ここで効くのが、経済学の基本にある機会費用という見方です。限られた家計の中で、子どもの数と、一人あたりの教育への投資は天秤にかかる。片方を増やせば、もう片方をあきらめることになる。だから研究は「教育にかかる家計の負担を下げれば、出生率が戻る余地がある」と示唆します。実際、教育コストが低い地域ほど出生率が高い傾向も確認されました。
持ち帰れる読み方はこうです。人口の数字を見たら、「その国だけの話」で閉じず、「数と質のどちらに賭ける社会になっているか」という物差しを当ててみる。世界の多くの国が同じ坂を下っているのなら、少子化は誰かの失敗というより、豊かさが呼び込む共通の選択の結果なのかもしれません。もっとも、共通の型が見えたことと、同じ処方箋で必ず解けることは別の話。そこを分けて読むのが、データを扱うときの作法です。