オーストラリアや韓国、EUで進む「子どものSNS利用を年齢で区切る」動き。日本でも、こども家庭庁の有識者会議が一律の年齢制限を検討する方針を中間報告に書き込みました。賛否の前に、この話が教養の三つの問いを一度に含んでいることに気づくと、議論の見通しがよくなります。
一つ目は自由の問い。本人のためを思って行動を制限する——これはパターナリズム(温情的な干渉)と呼ばれ、自由をめぐる古典的な論点です。大人なら「他人に危害を加えない限り放っておく」が原則でも、子ども相手だとどこまで介入してよいのか。線引きは自明ではありません。
二つ目はネットワーク効果。SNSは「みんなが使うから価値がある」サービスです。だから「嫌なら使わなければいい」が個人には成り立ちにくい。友だち全員がいる場所から一人だけ抜けるのは、事実上とても難しい。ここに、個人の選択に任せず社会のルールで一律に線を引く理屈が生まれます。
三つ目は個人データ。年齢で制限するには「本当に何歳か」を確かめる必要があり、そのために公的IDや顔認証を求めれば、今度は全利用者のプライバシーという別のコストが生じます。子どもを守るための仕組みが、大人の匿名性を削る——ここにトレードオフがあります。
持ち帰れる読み方はこうです。「規制すべきか否か」で身構える前に、〈誰の自由を〉〈なぜ個人任せにできないのか〉〈守るために何を差し出すのか〉の三つに分けてみる。多くの「規制の是非」をめぐるニュースが、この三点セットで見通せます。