文部科学省が示した目安は、小3から中3までの各教科の授業時数を、一律で3〜4%程度減らすというものです。年間の標準授業時数が35コマ以下の教科は対象外で、減らした分は、小学校に新設する「情報の領域」と、中学校の新教科「情報・技術」に充てられます。具体的な削減幅は今後の議論を経て決まります。
「授業に新しいものを加える」と聞くと、足し算の話に見えます。でも学校の1年間は限られていて、時間は増やせません。経済学とは何かの出発点にあった、時間やお金が限られているから何かを選べば別の何かを手放す、という見方が、ここにもそのまま当てはまります。選ばなかったものの価値が機会費用です。今回は、情報の時間を確保する代わりに、国語や算数など他の教科に使えたはずの時間を、少しずつ分け合って手放す設計になっています。
「一律3〜4%」という決め方も見どころです。特定の教科だけを大きく削る案と違い、負担が一か所に集中しにくく、説明もしやすい。一方で、各教科の授業のなかで何を絞るのかという次の問いは、そのまま残ります。政策のトレードオフを読むときは、「何を足すか」と同時に、「何の時間が減るか」「その負担は誰に、どう配られるか」を探すと、ニュースの輪郭がはっきりします。
もう一つの見方は、教育は何のためにあるかです。教育には、人格をつくる役割、社会で働く力を育てる役割、選抜の役割など、いくつもの顔があります。情報の学びに時間を割くのは、社会で必要とされる力を学校でどこまで担うか、という選択でもあります。ただ、記事が伝えているのは時間の確保という狙いまでで、どの役割を重く見た判断なのかは、読み手が考える余地として残されています。
次に学校の制度改正のニュースを見たら、この一問を持っておくと便利です。「増えるものの時間は、どこから来ているのか」。