「フクロウのヒナは、親の声を聞き分けられる?」——そんな問いを立てて実験した研究が発表されました。答えは、ちょっと意外です。聞き分けなかった。南大東島のリュウキュウコノハズクのヒナに、父親・祖父・血縁のないオスの鳴き声を聞かせても、ヒナはどの声にも同じように餌をねだり、相手が血縁かどうかで態度を変えなかったのです。
「なんだ、できなかったのか」で読み飛ばすと、いちばん面白いところを逃します。ここには、科学の見方が二つ効いています。
一つは科学的方法の作法です。研究は「聞き分けられるはずだ」という予想を立て、それを実験で確かめました。結果は予想を裏切りましたが、これは失敗ではありません。きちんと設計された実験なら、「区別した」も「区別しなかった」も、同じ重さの発見になる。むしろ「差がなかった」という結果は、思い込みを一つ消してくれる、貴重な一歩です。予想どおりの話より、予想を裏切る話のほうが、多くを教えてくれることがあります。
もう一つが進化の視点で、これが「なぜ"ない"のか」に答えをくれます。私たちはつい、生きものは何でも高機能なはずだと思いがちです。でも自然選択が残すのは、「あると生存や繁殖に得な性質」だけ。巣の中のヒナを想像してください。餌を運んでくるのは、いつだって自分の親です。よそのオスが紛れ込んで餌をくれることはない。だとしたら、声で血縁を細かく見分ける能力を持っても、使い道がありません。必要のない能力は、そもそも進化してこない。進化は「できるだけ賢く」ではなく「必要な分だけ」つくる倹約家だ、と考えると、この"できなさ"はむしろ理にかなっています。
持ち帰れる読み方はこうです。科学ニュースで「〇〇できなかった」「差がなかった」という結果に出会ったら、つまらない話として流さず、「なぜ"ない"のか」と問うてみる。その問いは、その生きものが置かれた状況や、進化のたどった道すじを照らし出します。「ある」ことだけでなく「ない」ことも、りっぱな答えなのです。