熊本で「グローバル・ネイチャーポジティブサミット2026」が始まった。「ネイチャーポジティブ」——自然にプラス、という耳慣れない言葉が主役だが、この出来事は一つの古い問いで読むと急に見通しがよくなる。なぜ「みんなの財産」ほど守られないのか、だ。
森も海も、そこに棲む生き物の多様さも、誰か一人のものではない。みんなが少しずつ使い、少しずつ恩恵を受ける。ところが「みんなのもの」は、往々にして誰も守らない。自分が我慢しても他人が使い続ければ意味がない——そう考える人が集まると、資源は少しずつ削られていく。これは協力はなぜ難しいかという、集合行為の罠そのものだ。気候変動も乱獲も、根は同じ構造にある。
サミットが掲げるのは、2022年に196か国が合意した世界枠組(GBF)——「2030年までに自然の損失を止め、回復へ転じる」という約束の実装を早めることだ。ポイントは、国だけでなく企業や金融、自治体を当事者として巻き込もうとしている点にある。自然を「タダで使える背景」ではなく、事業が依存し、損なえばコストが跳ね返る資本として測る——そういう発想の転換で、守るコストを誰が負うのかをはっきりさせようとしている。
生態系は、一種の消失が思わぬ連鎖を生む精妙な均衡でできている。だから「自然を守る」というニュースは、掛け声ではなく費用と負担の配分の話として読める。次に環境の話題に出会ったら、『これは誰の得で、守るコストを誰が引き受けるのか』と問うてみるといい。ネイチャーポジティブという言葉の中身が、少し立体的に見えてくるはずだ。